ここは呪いまみれ?!
皆さん、こんばんは。(夜書いてるよ)
このブログのコンセプトは、正論では割り切れない心の声を整える、だ。
ブログの形式に合わせて、AIを利用して過去の記事の要約をしていると
「呪い」というキーワードがやたらと出てくることに気付いた。
何度目かにその言葉を見たとき、ついに私は声を出して笑ってしまった。
「そうか。こんなに呪いまみれだから、生きづらかったんだ」と。
ブログは「呪いのコレクション」を並べる場所だった
ただ必死で立っていることしかできなかった渦中から距離を置けた今、ようやく冷静に振り返りながら、何が私自身を追い詰めたのか、どうすれば楽な生き方を選べるか、それを模索しながら書いていた。
生々しい感情の重苦しさが出ないよう、AIで客観的に書かせる形式を選んだ。もちろん時には、本当の自分の心の声が勝って、書き換えたりもしたけれど。
いや、うすうす思ってはいた。たまたまだと、気にしていなかっただけだ。
「呪い」が多いな、と。
一つ、また一つと記事にまとめて一覧に加えていく行為は、実はまるで自分の心の奥にある「呪いのコレクション」を、一つずつ取り出して並べているようではなかったか。
私たちの「優しさ」を狙う、タチの悪い呪い
きっと、この記事を読んでいる皆さんの中にも、同じように「呪い」を抱えている方がいるかもしれない。
抱えていることに気付いてない、なんだかモヤモヤして、苦しいな…そんな感覚の方もいるかもしれない。
それは、私たちを縛る呪いがはっきりと分かりやすく襲ってくるとは限らず、いつの間にか、少しずつじわじわと仕掛けられていたりするからだ。さらにタチが悪いのは、私たちの「優しさ」というスキを狙って巧妙に忍び込んでくることだ。
このブログは「呪いの確認作業」の場
「もしかして、これも呪いなのかも」
「ああ、私もこれ、呪いだと思ってた」
「てかこのブログ、呪いだらけじゃん」
このブログが、誰かにとっての「呪いの確認作業」の場になったら、それはもう本望だ。
なぜならこうやって、自分の外に出して眺めることで、すでに呪いは私たちから離れようとしているからだ。
今すぐできる、呪いの芽の見つけ方
私の経験から導いたものではあるが、
「なんか嫌だな。」「しっくり来ないな」そう思う自分の心の声を探してみよう。
見つけたならさらに「なぜそう思うのか?」をとことん自分の心に尋ねてみる。
例えば、
とある人の「私はインフルエンザになったことがない!」って言い方、なんかやだな。
→そういえば、「私は血液サラサラだ!」とか「お酒飲む人は蚊に食われる。私は食われない」とかも言ってたな
→もしかして、私は健康マウントか?!
→いや悪気はないかもしれん
→いーや、悪気はなくてもなんか「あなたは酒飲み」「不健康」って言われてるみたいでイヤ!!
→じゃあ、すぐに距離置くの無理でも、もうそういう話始まったら真面目に返事するのやめとこ?
みたいな。
(くだらない例えでごめんなさい💧)
これは、すぐに困りごとを解決する方法ではないけど、心の小さな違和感に気づく練習になる。小さな違和感のうちに気づくことができれば、強い呪いには成長しないかもしれない。
おわりに
このブログは私の個人的な呪いの博物館だけれど、これが何かを見つけたり、楽になったりするヒントになれたら嬉しいなと思いながら。
今夜はおやすみなさい。呪いとはおさらばして、ぐっすり寝られますように。


