はじめに
「女性はなぜ過去の話を蒸し返すのか?」というような書き込みを見て、個人的に、引っかかった点があります。
内容の趣旨に異論はないんですが、「蒸し返す」って表現はどうなんだろう?と。
しかもその痛みに、性別は関係ないのではないか、と。
もちろん、謝ったのにしつこく言われてうんざりする気持ちも、痛いほど分かります。
でも傷ついた側は、謝った側のようにすっぱり切り替えたり、前へ進んだりするのは、ひとりではなかなか難しいのではないでしょうか。
そう考えると「蒸し返す」という表現自体が、またさらに相手を傷つける言葉なのかもしれない、そんな風に思ったことから、この記事は生まれました。
「蒸し返す」という言葉の罪:それは意図せず始まる
夜の食卓、あるいは休日のリビング。
何気ない会話の途中で、ふとした過去の話に、不穏な空気が流れる。
それは数年前の旅行での些細な一言への不満かもしれないし、もっと昔の、苦しい時期の出来事への責めかもしれない。
相手がその話をしたとき、私たちは思わず眉をひそめ、「またその話を蒸し返すの?」と心の中でつぶやく。
この「蒸し返す」という言葉は、一体誰の視点から生まれたものだろうか。
それは間違いなく、「過去はもう終わった」と信じる者、すなわち、その出来事において何らかの形で相手を傷つけた側の視点である。
この言葉には、「なぜわざわざ、終わった話を掘り起こすのか?」「もう済んだことだろう」という苛立ちや、自己の正当化がにじみ出ている。
しかし、本当に終わっているのは、加害者側の都合の良い記憶だけではないか。
被害者にとって、その出来事は「終わったこと」ではなく、心に刻まれた「消えない傷」として存在し続けているのではないか。
その傷は普段は隠れて見えないかもしれないが、似たような状況に直面したとき、あるいはふとした瞬間に、鋭い痛みとして蘇る。
記憶の蓋はなぜ開くのか
私たちは誰しも、過去の出来事を忘れることができる。しかし、それは決して「記憶が消滅する」わけではない。
感情を伴う記憶は脳の奥深くにしまい込まれ、特定の「引き金」によって再び開かれることもある。
被害者側が過去の話をするとき、それは決して「ネチネチと嫌がらせをしよう」という悪意からではない。むしろ、それは、「見て。あの時と同じ痛みが今、また起こっている」という切実なSOSなのだ。
例えば、相手に頼みごとをしたとき、
かつて見放された過去が頭をよぎり、「また一人にされるのではないか」という不安に駆られる。そんなとき、口をついて出てくるのは、当時の出来事だ。
「あの時もそうだったよね」という言葉は、過去を責めているようでいて、実は「今、この瞬間の不安を察してほしい」という願いなのだ。
この現象は、男女を問わない。
夫が「前も忘れてたじゃないか」と、過去の失敗を指摘したとき、それは妻の失敗を責めているのではなく、夫自身の「もう一度忘れられるのではないか」という不安を投影しているのかもしれない。
同様に、妻が「昔からあなたはこうだ」と口にしたとき、それは過去の失望が、現在の失望と重なり合った結果に過ぎない。
「許す」とは未来への約束
さらに、「蒸し返す」という言葉が持つ、もう一つの重大な問題は、「許し」という行為の真の意味を矮小化してしまうことだ。
誰かが誰かを許すとき、それは過去の出来事を無かったことにする魔法ではない。
それは、痛みを抱えながらも、「あなたが本当に反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないと信じます」という、未来に向けた信頼の表明である。
この信頼は、非常に脆く、繊細だ。
一度でも裏切られれば、許した側は「自分の許しは意味がなかったのか」「やっぱりこの人は信用できない」という深い絶望を味わうことになる。そして、この絶望が、再び「蒸し返す」行動の引き金となるのだ。
加害者側から「蒸し返す」という言葉を使うことは、この繊細な信頼関係を無視し、自分勝手な都合で問題を処理しようとする態度に他ならない。それは、相手の痛みや、許すという行為の重さを理解していないことの証拠である。
言葉の選択が未来を変える
私たちは皆、知らず知らずのうちに、誰かを傷つけ、また誰かに傷つけられている。重要なのは、その後にどのような言葉を選ぶかだ。
「蒸し返す」という言葉は、過去と向き合うことを拒絶し、自己を防衛するための言葉だ。この言葉を使う限り、本当の意味で問題が解決することは決してない。
もし、あなたが「また過去の話をされた」と感じたなら、どうか「蒸し返す」という言葉で片付けないでほしい。代わりに、「ああ、まだあの時の痛みが残っているんだな」「この人は、今、不安を感じているんだな」と、相手の心に寄り添う言葉を探してほしい。
そして、「あの時は本当に辛い思いをさせたね。ごめん」と、過去と真摯に向き合う勇気を持ってほしい。その一言が、蒸し返されたように見えた話の結びとなり、凍りついた時間が再び動き出すきっかけとなるかもしれない。
「蒸し返す」という言葉は、私たちを分断する壁だ。その壁を乗り越えるためには、まず、その言葉を私たちの日常から取り除くことから始めなければならない。
相手とより良い関係を築きたいのであれば、
「またこの話か」と思った時には、いつもと違う声掛けを考えるところから、始めてみるのはどうだろうか。


