人に言われた否定的な言葉が、自分の行動をコントロールしているという気づき
なぜ…こんなに息苦しく、満たされないのだろう?と考えたとき。
原因は自分の中だけではなく、外側にもあるんじゃないか?と思った。
しかしもっと突き詰めていくと、本当に私の行動を縛っているのは、誰なんだろうか?
私?相手?
「これは私のせいなのか、否か」
思えば、長い年月にわたる自問自答の中で、これは重要なポイントだった。
なぜなら人は、自分のせいだと考える方が楽なこともあったりするらしいからだ。しかしそれがまた、新たな苦悩を生む。
これから触れる問題は、どちらが悪いと断定することは避けようと思うけど、相手からの否定的な言葉によって、私には確実に影響(実害と言ってもいい)が出ているのだ。
あの人があんな事を言わなければ、私だってこうはならなかった!
そう思う反面で、
でも、結果的に嫌な思いしたからあれはやめておこうとか、こうしておくべきとか、自分の行動を決めているのって、自分なのでは?
こんな風にも思う。
これは一体、どう処理すべきなんだろう。
ハマるとグルグル抜けられない思考の迷路に入りかけたその時、
結果的に・・?
行動分析学?!
と浮かんだ。
「感情は扱わず、行動の結果を見る。」
これは、行動分析学の考え方で、私の持論ではなくちゃんとした学問だ。
真面目に解説すると、
行動分析学(こうどうぶんせきがく)は、アメリカの心理学者B.F.スキナーによって創始された、行動の原理を研究する学問です。人の行動を、心の中の出来事ではなく、環境との相互作用の結果として捉え、行動の法則を導き出すことを目指します。
※「行動分析」でGoogle検索した際に表示されたAIによる概要より一部引用
そして私が意識したのが「強化」という法則。
行動の強化とは、行動の後に何らかの刺激(報酬や好ましい状況など)を与え、その行動が将来的に起こる確率を高めるプロセスを指します。具体的には、行動の後に良いことが起きると、その行動を再び行う可能性が高まることを意味します。
強化には以下の2種類があります。
正の強化:
行動の後に良い刺激(褒め言葉、ご褒美など)を与えることで、行動を促すもの。
負の強化:
行動の後に嫌な刺激(不快な状況、脅威など)を取り除くことで、行動を促すもの。※「行動の強化」でGoogle検索した際に表示されたAIによる概要より一部抜粋
つまり、
- 良い結果が得られる行動は増える
- 嫌なことから逃れられる行動も増える
ということ。
例えば…
早く学校に行ったら好きな人と話せる!だと、早起きして学校行くようになるだろうし
逆に、遅く行くと風紀検査のチェックが終わってるから、遅く行くようにするとか…
こういう感じだ。
これらを、私と相手の行動(言葉を含む)に当てはめて考えてみる。
相手は、「私に否定的な言葉を言う」という行動の結果、何かを得たか、何かから逃れられたはずである、と仮定すると
➕正の強化パターン
私が、嫌なことを言われるのを避けるために先回りして行動するようになった?
(=相手は、自分にとって都合の良い刺激を得た)
➖負の強化パターン
私が、返事に詰まったり混乱したりして、黙った?
(=相手は、私に反論されるという嫌な刺激を取り除けた)
その途端、「おや?」と私の中に軽い閃きが走った。
誰のせいでもない、つまり私のせいでもない
私は、何やらすごい発明をしたような気持ちになった。
もちろん、この説だと、私の返した行動が相手の行動を強化しているので、自業自得感は否めないけれど…
しかしこれらを、環境との相互作用の結果として(機械的に)説明できるんだということは、
誰かの人間性とか、精神性とか、根性とか、それを理由にしないで済むということにならないだろうか?
これに気付いたときに、パッと心が晴れたのである。
本当は誰も悪者にしたくない
自分を悪者にすると、物事をコントロール出来ている感覚に安心するので、その方が楽だという見立てもあるようだが、他にも「相手を悪者にしたくない」という気持ちもあるのかもしれない。
けれど、それが行きすぎると次は自分が苦しくなってしまう。
私は、本当は誰も悪者にしたくないのだろう。
誰も悪者にならない、穏やかな関係を望んでいるのかもしれない。
それなのに、ままならない人間関係の中では、このような感情を抜いた考え方も、自分の心を楽にするための一つの選択肢として、悪くないのではないだろうか。
関連リンク
こちらの記事では、「嫌だ」「傷ついた」と感じることも間違いではないという、気持ちを重視した内容になっているので、読んでもらえると嬉しいです。



