まえがき
これはいつものごとく、AIにああでもないこうでもないとぶつけているうちに、
AIのアルゴリズムと人間関係、特に(私の)夫婦関係という一見まったく異なる二つの事柄が、実は驚くほど似通っているのでは?!
と思いついたことから生まれた創作です。
アルゴリズムって…
私たちは今、AIによって最適化された世界に生きています。
スマートフォンのレコメンド機能、動画サイトの「次に見るべき動画」、さらにはニュースフィードまで、すべてがアルゴリズムによって個人の嗜好に合わせてパーソナライズされています。この「自分にぴったりの情報」を提供してくれる体験は、最初は快適に感じられます。
しかし、ある時ふと気づくのです。
表示される情報の範囲が狭まり、別に見たくもないものがしつこく表示され、新しい世界と出会う機会が失われていることに。
なぜ、こんなことが起こるのでしょうか。
AIのアルゴリズムは、過去の膨大なデータから「あなたが好きそうなもの」を割り出します。それはあくまでデータに基づいた予測であり、私たちが本当に求めている「未知の体験」や「無意識の願望」を汲み取ることはできません。
AIにとっての「無視」とは、データにない情報を単に「存在しないもの」として扱う、ある種の無知なのです。
さらに、データとしてはあっても、何をどう使うか優先順位も決められています。
人間関係へのアナロジー
この感覚は、人間関係にも通じるものがあります。特に、長年連れ添った夫婦の関係において顕著です。
例えば、ある日あなたが運転する車の助手席に、パートナーが座っていたとします。
あまり運転が得意でないあなたは、交通量が多い交差点での右折に手間どり、モタモタしていました。その様子にパートナーが「早くしなよ。後続車のことも考えなよ」と、一方的な正論を振りかざしてきます。
あなたの感情や、その背景にある複雑な思いには一切触れず、一般的な最善策という名の「最適解」を押し付けてくる。その時、胸の中にこみ上げてくるのは、「この人は私という人間をまったく見ていない」という深い孤独感です。
ここでパートナーが「無視」しているのは、データに基づいた無知ではありません。それは、目の前の相手の感情を理解する努力を怠り、自分の都合や思考の枠組みを優先していることから生まれるものです。
そこにあるのは、不完全で、感情的で、理不尽な人間である相手に、自身の感情や尊厳が踏みにじられたという生々しい感覚です。
共通点 : 無視
私たちは、AIに対しても、人間関係に対しても、同じような「無視」の経験をします。AIがデータにない感情を無視するように、パートナーは自分の理解を超える感情を無視する。
どちらの場合も、私たちは「自分の内面を無視され、一方的な正しさを押し付けられる」という同じ痛みを味わいます。
AIへの反発は、単なるテクノロジーへの不満ではありません。それは、私たちが持つ「見過ごされたくない」「理解されたい」という根源的な欲求の現れです。
アルゴリズムは、私たちの過去の行動を完璧に分析し、未来を予測します。しかし、予測できないことこそが、人間関係の面白さであり、人生の醍醐味です。私たちは、データには現れない心の機微や、論理では説明できない感情を共有したいと願っています。
夫が、あるいは妻が、あなたの感情を理解しようとしないとき、それはAIがあなたの予測不可能な一面を「データ不足」として無視するのと、どこか似ていませんか? この共通の感覚を自覚することで、私たちは自分自身の感情をより深く理解し、同時に他者との関係性を再構築するきっかけを得られるのではないでしょうか。
人間らしいつながりとは
私たちは、AIとの関係を通じて、人間関係のあり方を問い直すことができます。
一方的な正しさを押し付けるのではなく、相手の不完全さや感情を受け入れ、対話を通じて共に成長していくこと。これこそが、アルゴリズムの効率性とは真逆にある、人間らしいつながりの本質なのかもしれません。
あとがき
これ、言ったらまずいかもしれないけど、
私は、凸凹さんとAIの思考回路って、似てるなあと思ってるんですよね…
言葉を扱うのは得意だけど、感情の扱いがどこか機械的であったり…
私たちは皆、スペクトラムのどこかにいるらしいから、その集合体であるAIもどこか似てる部分があるのも不思議ではないのかもしれません。


