嫌な思いをした時、「相手に悪気はないんだから」と、自分を納得させるけれど、モヤモヤが残る、そんなことはありませんか。
私も長く、相手に悪気はないのだから、自分の受け取り方を変えたらいいのだと思っていました。
しかしその「優しさ」は、知らず知らずのうちに自分自身を居場所のないところへ、追い詰めているかもしれません。
「相手の意図」と「あなたが受け取った痛み」は矛盾なく両立するという、たった一つのシンプルで大切な考え方をお届けします。
自分の痛みに気づくことが、新たな場所へと自分を導くのです。
「相手に悪気はない」は、自分への嘘かもしれない
優しさに隠れた心の声
「相手に悪気はない」。
そう思えば、穏便に済む。そう思いたい。
私たちは、争いを避けるために、この言葉を魔法のように唱えているようだ。しかしそれは、いつの間にか、自分自身の心に蓋をする呪文になっていないだろうか。
約束を破られても、「わざとじゃない、理由があったんだ」と自分に言い聞かせる。
配慮のない言葉を浴びても、「あの人はそういう人だから」と受け流す。
それは、大人として成熟した対応に見える。だけど、その度に心の奥では、小さな痛みが確実に積み重なっている。
自分を悪者にする安心感
私たちはなぜ、「相手に悪意はなかった」と考えてしまう、いや、考えたくなるのだろう。
実は、どうしようもない不条理に対しても、「自分が悪かった」と納得する方が、心が楽だったりする。
これは心理学でいう内的コントロール感に近いかもしれない。
人は出来事を自分の力で左右できると感じると安心するので、「相手に悪意があったかもしれない」という外側の要因より、「私の解釈が悪かった」「気づきが足りなかった」と内側に原因を置くほうが心のコントロールを保ちやすい。
その一瞬の安心感に、私たちは無意識に依存してしまうのではないだろうか。
優しさをまず自分に
そこにあるのは、二つの事実
相手に悪気があったかどうかは、こちらからは分からない。
だけど、あなたが傷ついたという事実もまた、何があっても揺るがない。
だから、悲しみや怒りを感じた自分を否定する必要はない。
「私は、あの言葉に傷ついた」と認めること。
それは相手を悪者にする行為じゃない。あなた自身を大切にする、静かな勇気だ。
その二つに矛盾はない
相手の事情を思いやる心は、本当に素晴らしい。
だけど、その優しさを、あなた自身にも向けてみよう。
相手の意図と、あなたが受け取った痛みを、切り離して考えてみる。
「相手に悪気はなかったかもしれない。でも、私は傷ついた。」
この二つは、矛盾なく、同時に存在できる。
まずは気づくこと。
それがあれば、あなたの選ぶ道も少しづつ、自分のためのものに変わっていくはずだ。


