「俺はATMか」
その言葉は、酒の勢いを借りて、どうしようもない苛立ちとともに口から飛び出した。グラスの底に残る琥珀色の液体が、まるで俺の濁った心を表しているようだった。
まったく、実家でのあの光景が、頭から離れない。
俺の父親の還暦祝い。
久々に全員が顔を揃える日だったというのに、妻と娘は二人で隅っこに固まり、あからさまに俺や俺の家族から距離を取っていた。あの態度はなんだ。
俺を、そして俺の家族を、軽んじているとしか思えなかった。
俺だって被害者だ
確かに、以前に父親のセクハラが嫌だからもう実家には行きたくないと妻が言っていたこともあった。
だが、それはもう何年も前のことだ。いつまで昔のことを根に持っているんだ。
それにだ、当時俺だって嫌な思いをしていたんだ。「二人目を試験管ベイビーで」なんて、親父は悪気なく言ったのかもしれないが、俺は腹わたが煮えくり返るほど不快だった。だいたい俺だって被害者じゃないか。
俺のせいではない
彼女が望んだ生活だったじゃないか。娘の転校はさせたくない、今のままでもいっぱいいっぱいだから引っ越しはしたくないと、生活のすべてを彼女が選択したんだ。
娘が学校へ行くのが大変だと言っていた? 苦手なことがたくさんある?
そんなこと、俺だって会社で嫌なことは山ほどある。毎日毎日、胃をキリキリさせながら働いている。甘やかせばいいってもんじゃない。現実に直面すれば、誰だって嫌なことの一つや二つは経験するものだ。
「全部、お前が選んだことだぞ! お前の責任だ!」
俺は悪くない。家族のために、ただひたすらに働いてきた。
娘の学校の行事? 仕事があるから、一度だって参加したことはない。運動会や発表会、そんなものに参加する暇があれば、一つでも多くの仕事をこなす。
その分、俺の長期休暇は、家族と過ごせる貴重な時間だと信じていた。だから、盆や正月には実家へ顔を出し、家族全員で過ごす時間を何よりも大切にしてきた。
それなのに、妻も娘も、たまにしか家に居ない俺のために、気を遣って場を盛り上げてすらもくれない。ただの来客のように、冷ややかに俺を見ているだけだ。
いつからだろうか。あんなに愛らしかった娘が、いつの間にかあまり話してくれなくなった。
思春期になったからか。
それとも、俺に何か原因があるのか。
娘が小さい頃は、もっと頻繁に俺の実家にも出入りしていたはずだ。週末は俺が帰ってくれば、いつも家族全員で過ごすことができていた。
いつの間にか、俺の知らないところで、娘は成長し、俺の知らないところで、俺の居場所はなくなっていたのかもしれない。
そういえば、妻に電球の交換を頼まれたことがあった。
俺は「なんで俺がしないといけないんだ」と断った。
電球くらい、俺じゃなくてもできるだろ。俺は仕事で疲れているんだ。やろうと思えば誰でもできるのに、なぜわざわざ俺に頼むんだ。面倒だ。そんな気持ちが先立ち、俺は断った。
妻は俺に何も頼んでこなくなった。
それからだ。俺は、家族から何も頼られなくなっていた。俺の存在意義はなんだろうか。
「…俺は、ATMか?」
自分でもわかっている。
俺は、家族にとって、ただ金を運んでくるだけの存在なのだ。
俺は何食わぬ顔で家に帰る。
妻と娘の態度は相変わらずだ。もう、何も期待などしていない。次の実家の集まりにも、もう二人を連れて行く気はない。
二人の気持ちを尊重した結果だ。
俺は、俺のやるべきことはやっている。
朝早く起きて満員電車に揺られ、夜遅くまで働き、家族を養う。
それだけで、十分じゃないか。
俺は何も悪くない。
そう自分に言い聞かせながら、俺は今日もまた、一人で孤独な夜を過ごす。
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