「俺はATMか」
と言われたけれど、いつもお金が価値の基準だったと思う。
「誰の金で飯食ってるんだ」
それはまるで、お金さえ稼いでいれば、全てが免除されるかのような、そんなメッセージを私に突きつけた。
それでも現実的には、
なぜだか妙に手のかかるわが子を、必死で学校に行かせる日々。
少し大きくなれば、習い事や塾、社会とのつながりを維持するための時間と精神力は削られ、当時の私にとって外で働きお金を稼ぐ事は現実的でなかった。
それでも少しずつ手が離れ、自分自身の体力や気力を取り戻し、人との繋がりを作るリハビリとして、フィットネスや習い事を始め、短時間のパートも始めた私は、久しぶりに外の空気を吸った。
ずっと夫の家族という文化に染まってきた私には、新鮮だった。
外には、いろんな人が居た。
初めて、客観的に外から自分の家族を眺めることができた。
ずっと何かおかしいと思っていた。
それが、確信に変わっていった。
「あの人は、お金だけだ」
私が何も言わないことを、「上手くいっている」と思っているらしい。
そうではない。
諦めたのだ、全てを。
言わない方が平和。
「いちいちお前の都合がどうこう、親に伝えるのがめんどくさい。自分で言え」
そう突き放されてから、
夫の実家とのイベントは、ますます心を殺して従った。
体調が悪くても黙って従った。
子どもの方にも、成長につれて変化があった。
本人が違和感を自覚することで、発達障害の診断につながった。
それはもう、小児科では見てもらえない歳になってからのことだった。
そんなある日。
「何だあの態度は。
みんなの前でお前らは、二人でこそこそとしやがって」
お酒の勢いを借りた夫が怒鳴り始めた。
その日は、私も子どもも体調が悪い中、気持ちを奮い立たせて夫の家族と同行していた。
何も知らないくせに。
怒りを加速させた夫が言う。
「いい加減にしろよ、これからどうすんだ!」
私の中で何かが切れた。
「…離婚でいいんじゃない」
「おう!離婚だな!!」
私の言葉を待っていたかのように、夫が引き取って続けた。
夫の言動の一つ一つは威圧的であったが、「寂しい」と心から叫んでいるようでもあった。
しかし、その日の私は負けなかった。
目を見て、はっきりと自分の意見を突き通した。
もう、分かっているのだ。
積み上げてきた日々の出来事や、そこにあった想いについて、真面目に一つ一つ取り上げて話したところで、対等な会話になんてならない。
彼にとって合理的な話に持っていかれるだけだ。
わが子への理解を深めるうちに、私が学んだことだ。
「あなたにとっての家族は、実家の家族でしょ」
私が長年感じていた事実をぶつけた。
それからの夫は、何を考えているか知らないが、何事もなかったように帰ってくる。
家族の会話はほぼない。
私は、パート先で社会保険に加入することにした。
自分で自分の尊厳を守る、第一歩だ。
そのことを夫に報告すると
「何でそんな無駄なことするの?」と返ってきた。
何も分かってない、この人は。
いつも、とりあえず否定から入るひとだ。
説明するのも面倒くさかった。
この創作は、こちらの話と対になっています。



