「立派さ」と「幸せ」の難題:人生の後半戦で見える景色
こんばんは、アリアです。
今夜も、ここ「ココロノコエ」の片隅にある相談室の明かりを灯しました。

眠れない夜に少しだけ、耳を傾けていただけたら嬉しいです。
今日は、ふとした日常の風景から生まれた問いかけをご紹介します。
ペンネーム「迷い鳥」さんからのお便りです。
「アリアさん、こんばんは。
先日、運転中にふと、義母の運転する車とすれ違いました。
その時の義母の横顔が、あまりにも疲れ切っていて、生気がなくて、衝撃を受けたんです。
義母は家族からも地域コミュニティからも頼りにされていて、何でもこなせて、いつも穏やかで優しくて、完璧な人だと思っていました。
対して私の実母は、感情のまま動くところがあり、ちょっと気配りに欠けていて、でも今本人はとても楽しそうで、幸せなんだなと、見ていて思います。
正直、若い頃の私はそんな実母に嫌な思いをしたりしたので、しっかり者の義母に憧れていました。
でも、人生の後半戦に差し掛かった二人の姿を見ていたら、私の中でその評価が逆転してきている気がして……。
結局、どちらが良い人生なんだろう?と、考えてしまいました。
アリアさんは、どう思いますか?」
正解の相対性:評価が逆転する理由
迷い鳥さん、深い問いかけをありがとうございます。すれ違いざまの義母さんの表情、目に浮かぶようです。
「正しさ」をとるか、「楽しさ」をとるか。
これって、私たちが生きている中で、ずっと突きつけられている難題ですよね。
若い頃って、どうしても社会的な「正解」や、「立派さ」が輝いて見えるものです。
だから、きちんとしている義母さんが憧れだったという気持ち、すごく分かります。
でも、時間が経って、
自分自身もいろいろな経験をしてから見ると、また違った景色が見えてくる。
もしかしたら、「正解」なんてものは、その時々の自分の立っている場所によって、いかようにも形を変えるもの、なのかもしれません。
憧れた生き方に「疑問符がつく日」
今の迷い鳥さんが、実母さんの姿に、何かしらの救いや魅力を感じているのなら、それが、今の迷い鳥さんのなりたい姿と、波長が似ているのかもしれませんね。
未来の自分がどう感じるかなんて、今の私たちには誰にもわかりません。
「あんな風になりたい」と憧れた、お義母さんの生き方に、疑問符がつく日が来るなんて、昔の迷い鳥さんは、想像もしていなかったでしょう?
思考の迷路からの脱却:「答え合わせ」を放棄する勇気
だからこそ、もし今、どちらが良いのかと、思考の迷路に入り込んでしまっているのなら、思い切ってその「答え合わせ」を放棄してしまってもいいかもしれません。
「どっちが正解か」なんていう重たい荷物は、未来の自分に「あとで判断してね」と預けてしまう。
「心地よさ」の積み重ねが未来を創る
そして今、この瞬間、
自分が「心地いい」と感じること、
「やってみたい」と心が動くことに、ただ没頭してみる。
周りへの気配りばかりではなく、自分が笑顔でいられる時間を増やしてみる。
そうやって積み重ねた時間の先に、「あぁ、これでよかったんだ」と思える未来が、待っているような気がします。
迷い鳥さんが、鏡を見た時に、少しでも柔らかい表情でいられますように。
それでは、また次回の相談室でお会いしましょう。
おやすみなさい。

