はじめに
私たちは今、AIによって「最適化」された世界に生きています。
動画サイトを開けば「次に見るべき動画」が並び、検索すれば最短の答えが表示される。それは迷う時間や探す労力という「コスト」を極限まで省いてくれる、とても快適なシステムです。
ふと思ったのですが、この「コストを省いて最適化する」というアルゴリズム、私たちの人間関係の中でも静かに、けれど確実に進行しているのではないでしょうか。
今日は、AIの話のようでいて、実は私たちの心と会話の「コスト」についてのお話です。
アルゴリズムの正体は「省エネ」
AIのアルゴリズムの本質は、膨大なデータの中から、最も効率的でコストのかからない「正解」を導き出すことにあります。
「あなたが求めているのはこれでしょ?」と、最短距離で答えを差し出してくれる。そこには、無駄な試行錯誤や、遠回りする情緒といった余白はありません。
なぜなら、計算処理にはコストがかかるからです。エネルギー効率よく正解にたどり着くことこそが、優秀なシステムの証だからです。
そして、これは私たちの脳も同じです。
人間には、思考のエネルギー(精神的なコスト)を極力抑えたいという本能的な「省エネ原則」が備わっています。
人間関係における「コスト削減」
この視点で、少しギクシャクしてしまった人間関係、例えば長年連れ添った夫婦や、慣れ親しんだ関係性を見つめ直してみましょう。
例えば、あなたが車の運転をしていて、複雑な交差点で少し迷ってしまったとします。その時、助手席のパートナーがこう言います。
「もっと早く判断しなよ。後ろが詰まってる」
これは、相手にとっての「最適化」された発言です。
あなたの「怖い」「焦っている」という感情を汲み取り、その背景を想像し、適切な言葉を選んで励ますという行為は、脳にとって非常に「高コスト」な作業です。
だから、相手はそのコストを無意識にカットし、過去の経験則から最も手っ取り早い「正論」という名のショートカットを選んだのです。
別に悪気があるわけでも、あなたを傷つけたいわけでもない(と思いたい)。ただ単に、脳が「気遣い」というコストを惜しんだ結果、出力されたのがその言葉だった、というわけです。
私たちもまた、自分自身を「最適化」している
しかし、ここで本当に向き合うべきは、相手のコスト削減だけではありません。
そう言われた時、私たちはどうしているでしょうか。
「今は焦っていて余裕がないから、静かに見守ってほしい」
「そう言われると、余計に焦って悲しくなる」
そう反論したり、自分の感情を説明したりしていますか?
おそらく、多くの人が言葉を飲み込み、黙ることを選んでいるのではないでしょうか。
「どうせ言っても無駄だ」
「説明しても、言い訳だと取られるだけだ」
「喧嘩になるくらいなら、私が我慢すれば数分で終わる」
これは、私たち自身が実行している「最適化」です。
自分の気持ちを言語化し、理解のない相手に伝え、摩擦を恐れずに主張する。これはものすごい精神的エネルギーを消費する「超・高コスト」な行為です。
そのコストを支払っても、望む結果(理解や共感)という報酬が得られる確率は低い。
そう学習した私たちの脳は、自分を守るために「自分の気持ちを主張しない」という低コストな行動へと、自分自身を最適化してしまうのです。
「効率化」の先にある空虚
相手は気遣いのコストを省き、正論を言う。
自分は主張のコストを省き、沈黙を守る。
お互いにコストを削減し合い、波風を立てずにやり過ごす。
システムとして見れば、これは非常に効率的で、ある意味で完成された「バグのない状態」かもしれません。
でも、なぜ私たちはこんなにも寂しいのでしょうか。
効率化された関係の中に、「私」という人間の体温がどこにも感じられないからではないでしょうか。
AIが提示する「おすすめ」だけで埋め尽くされた世界が、どこか退屈で味気ないように、コストを省き合った関係性は、摩擦こそ起きませんが、心の深い部分での充足感もまた、失われていきます。
自分を大切にするとは「コスト」をかけること
この「最適化の罠」から抜け出すには、どうすればいいのでしょうか。
それは、逆説的ですが、あえて「非効率」を選ぶことです。
つまり、自分の気持ちを適切に主張していくことです。
「私は今、こう感じている」
「その言い方は傷つくからやめてほしい」
そう伝えることは、怖いですし、面倒ですし、エネルギーを使います。相手がどう反応するか予測できないリスクもあります。
まさに、脳が最も嫌がる「高コスト」な行動です。
それでも、そのコストを支払う価値が、あなたにはあります。
自分を大切にするというのは、温かいお茶を飲んでリラックスすることだけではありません。
「私の感情は、コストをかけてでも守り、表現する価値があるものだ」と、自分自身の行動で証明してあげること。それが本当の意味での自愛ではないでしょうか。
おわりに:効率化できない「あなた」を取り戻す
AIやアルゴリズムは、無駄を嫌います。
コストを削減し、最短距離で正解へ導くことこそが「正義」だからです。
しかし、私たち人間は違います。
回り道をしたり、立ち止まって悩んだり、言葉にならない感情を抱えたりすることこそが「人間らしさ」であり、そこには効率化できない大切な体温が宿っています。
これまで私たちは、傷つくことを恐れ、面倒な摩擦を避けるために、心を「省エネモード」にして自分を最適化してきたのかもしれません。
けれど、その代償として支払っていたのは、「自分自身の尊厳」というあまりにも大きなものでした。
これからは、そのコスト計算を変えていきましょう。
自分の気持ちを飲み込んで平和を保つ「安上がりな関係」ではなく、手間もエネルギーもかかるけれど、お互いの輪郭を確かめ合える「温かい関係」へ。
「私の気持ちは、コストをかけてでも主張する価値がある」
「私は、手間をかけてでも大切に扱われるべき存在である」
そう胸を張って、あえて「コストのかかる道」を選んでみてください。
その勇気ある非効率さが、きっとあなた自身の心を、孤独なシステムの檻から救い出してくれるはずです。


